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損なわれていったものたちへ。

※本文加筆修正しました笑。一回目はあいかわらずひどい投稿でしたね、、、。

語り尽くせない言葉、想いがあるとしたら、特に今日はそれです。

いろんな感情が洪水のように荒ぶっては、逃げ場所も無くこっちにまた戻ってきます。
俺は村上春樹さんの書く文章に、自分が思っている以上に浄化されているんだろうと思いました。恐ろしいほどに。
もうすでに、村上イズムが文章に入り込んでいます笑。これは、どうしようもないことです。parajumpers herr

今日、ほんと偶然且つ嬉しいタイミングで「Tokyo graffiti」という雑誌で、人生で一番の本。というテーマで取材を受けさせていただきました(ちょうどまた最近読書欲があがっていたのでちょうど良かった笑)
俺なんかがでてしまっていいのかな、っていうくらい素敵な雰囲気の雑誌なのですが、バンドから離れてほんと個人的な感覚で自分にとっての大事な本、感覚、それを考えて真剣に一冊選びました。

村上春樹の「ノルウェイの森」です。

くそ有名な本ですね笑。知ってます。

でも、やっぱり自分にとって、最強の一冊はこれしかありませんでした。

なんかある統計方法では「世界の中心で愛を叫ぶ」に抜かれるまでは、売り上げがなんかの歴代一位の小説だったみたいですが、セカチューとは天と地の差、吸わされる空気が全く違う、っつーか並べられてるのがゆるせねえ、こういうのって俺の頭がおかしいのかな、って思っちゃうくらいに言えます(もちろんセカチュー読んだし、映画も観ました。コウさんきれい)

そもそも「ノルウェイの森」恋愛小説じゃないし。そういうくくりになってるけど。恋愛小説じゃないし。
なんで恋愛小説ってくくりを混ぜたんだろう。きっと大人の事情だな。
もっと凄い、人間の根底を揺さぶってくる文学なのにね。

俺はね、売れてるものってやっぱり「くだらない」って思ってしまう(けど自分も藍坊主で「売れたい」とも思ってる)ひねくれた部分、どうしようもない嫉妬心がやっぱりあるんだけど(ノルウェイの森の主人公のワタナベくんも基本この精神を一貫している、そういう人、一応補足)、ノルウェイの森は不完全な上で、この上なく完全なんだよ。不完全を取り込んだ上で、斜め45度の更にそこから不安定な角度なのに、最も美しく感情がはびこれる場所に言葉が踊っている、一瞬のその奇跡的風景にもやけてる完全。
ウォークマンでハイスタ聴いてたった一人で帰宅してた帰り、銀杏が音も無く古いコンクリート作りの建物の方に一斉にさらさらと流れていく瞬間に、バックホーンの「冬のミルク」が耳元で鳴った瞬間みたいなあの時の完全さ。
最高のライブみたい。
だから神々しささえいつも感じる。

何より、俺はまた読んで自分が損なった部分が回復しているのを今感じている。
ああ、、、、春樹さんなんていう独特な文章なのだろう。
誰に何言われても届かない言葉の流れがこの小説には至る所に発現されている。
ほんとに胸が締め付けられる、、、。

ここから俺が偽文学論的に村上春樹のノルウェイの森を細かく論じた所で、つまらない笑、と思うので、どんだけ救われたか、書きます。

おれは思い起こせば、今から見て4年間くらい、自己の半分くらいをがっつり失っていました。ほんとにこの数年辛かったわ。

より正確に書くと、2011の3.11がほんと堪えた。そのちょい前からちょっとおかしかったんだけど、あのときとどめのように、俺の中心のほんと中心が壊れてしまった。ガラガラガラと。
自分が思っている以上にひどいダメージを受けた。ほんとやばいくらい。ダメだったあれはもう。
苦労して構築して、理解しようとして、鎧の代わりに纏ってきたつもりだった哲学はあの時何の役にも立ってくれなかった笑。
残念。

被災者でもないのにね。

つらかった。

親族とか自分の血のルーツが岩手の海岸の町にあったってこと、それだけじゃきっとなくて、ほんとに人間がやべえハザード状態になった時、住んでる場所や、その土地との繋がりの違いで、こんなにも人それぞれで考え方や感じ方が違うのか、って、良く知ってるつもりだった人たちの色々な異なる考え方に、素直に衝撃を受けて、ショックだった。
これに関しては、どうしようもないことであるし、誰を非難するとかでもなく、俺も震災が起こった場所が違かったら、もしかしたらあんなに胸がかきむしられることはなかったかもしれない、ひでえ話だなあ、とか、起こった出来事もとても大変なことだったけど、それ以上に受け取り方をどうするのかで、俺のキャパシティーは一気に到達点を越え、崩壊した。

なるべく正直に生きていたいけど、生きられない(これもノルウェイの森の主人公のワタナベ君に重ね合わせられるところ、、)、そんな時間をとにかくどうすることもできなくて、俺はほんとは大嫌いな精神parajumpers herr rea、「ボランティア」という形で、あのとき自分なりに震災の収束に少しでも役に立てるように関わろうと思った(音楽でどうするってのが俺にはうまくできなかった。チャリティーライブもやったけど、正直どんな顔して歌ってれば良かったのか今でも解らない)
不思議な事に、ひどい惨状の現場で体を必死に動かしてる事で、すげえ痛かった部分が、回復していってるのがわかったのに驚いた。今でもあの光景を思い出すと、悲しくてどうしようもなくなる。けど間違いなく直接出向く事で逆に救われていくあの感覚は、これからさきあまりない出来事だと思う(そうであって欲しい)そしてこの感覚、ノルウェイの森の中心にいつもあったものなんじゃないかと今では思う。
ちなみにその時一緒に現地に行ってくれた仲間の一人がNormメンバーのカギちゃんでもありました。
もし見ていたらだけど、この場を借りて、コラムでボランティアの話をした時に現地まで行ってくれた方々に改めて感謝致します。俺が言うのも変だけど笑、本当にありがとうございました。

で、そういう状態だったもので、俺は一時期病院に行ってた!はい!行ってましたよ。

自分が、絶対患わないだろうと思ってた精神方向の病だな笑。いやだわ。

これ、くらっちまったわ笑。まじくそ。2011年ね。武道館前。
ボランティアいったのは武道館終わったすぐ後。
今思うと色々強烈だな。

向精神薬とか、睡眠薬みたいなやつ飲んでたのかな。とにかく夜眠れなくなっちゃって、変な幻覚も見えたりして、人間って逆にすげえって思ってたよ。
俺は至極まともなつもりなのに、世界が自分からどんどん離れていく感覚!ある意味、極度な孤独感っていうのかな、笑。
これ、こういうのが、あったなあ。今思うと情けなくて、つらいな。
家族が側にいてくれなかったらって思うとほんと怖い笑。
俺の横にいつもあったのはアコギだったなあ。
俺の愛機だったなこいつ。
あと村上春樹。

人間がやばいときにどういう活動をするのか、たくさんのサンプルを自分で体験してみちゃったよ。

そして今、2015年、なんだか数年ちょっと弱っている間に、個人的感覚としては無防備で色々ボコられまくってた気分だぜくそ笑、心臓の奥に沈殿し続けた怒りと
葛藤と、行く当ても無い逡巡の固まりを、俺はここから何倍にもして返してやろうと今、思っている。

殴られターンは終わりだ。

「降車ボタンを押さなかったら」じゃ足らない。

ぶんなぐりたい。

Normを作ったのは、また、自己の回復と、それを越えるための、道筋を自分で作るために立ち上げたって、これも正直なちゃんとした理由です。

藍坊主のコラムだとぶっちゃけいつからか人目が気になって、思い切り文章が書けないです正直笑。
なんだろう、なんか怖い。
迷惑もかかっちゃうしね、、、、。

こっちは当然見る人しか見ないと思っているし、もっと限定されているので、ひどい文章も書き殴っていきます。
結局後で、直すけれども笑。

それじゃあまた。

Norm/hozzy

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