Blog

インスピレーションと哲学

前回ちょっとした怪談めいたものを書いたので「うわ〜、、」とどん引かれた方もいたのではないかと思います笑。

僕はそんな感じの原体験があり、ここまで生きてきて、表現活動に多少なりとも影響を受けてきたところもあるので、36歳になったしこのタイミングで書かせてもらいました。

例の話、読んだ人に害はないのでご安心ください笑。

あれはライトな方です。

とてもじゃないけど書いちゃいけないような話の方がたくさんあるのでね、、、、なんつって。

さて、今日も自分語りをさせてもらいます。

一時期哲学なるものに異様にはまっていたのですが、それは何でだったのか?について。

ちょうど藍坊主のフォレストーンリバイバルツアー(10年前にリリースしたアルバムの再現ツアー)がそろそろ始まる時期だし、当時哲学にバリバリはまってもいたので、改めてそのことについて考えてみる事にしました。

今日も、単なる独り言ち日記です。

生きてるってどんなこと?死んでるってなに?

中学校の道徳の授業みたいなタイトルですね。

前回のブログにも書いたように、僕は幼きある日、変なものを見たのでした。

その結果、お化けに対して異常な興味を示すようになってしまった。

もしかしたら3〜4歳の時点で既に興味を持っていたのかもしれないけど(ゲゲゲの鬼太郎が大好きだったので)、とにかく例の体験で僕の断片的な性向は決定づけられたようだった。

幼稚園でも自由時間には妖怪の絵を描き、小学校でも休み時間になれば自由帳にゾンビや吸血鬼の絵を描いていた。

それでも当時は社交的なタイプで(表面上は)、友達も多い方だったから何事もなく学校生活を送っていた。

仮におとなしい性格だったら、気味悪がられてクラスメイトから避けられていたかもしれないね。

とにかく幼い頃から、人間ではない人間に近いもの、我々と同じように存在しているけど、生きてはいないかもしれないものにとても興味があった。

と同時に、当時はまだ聞き慣れなかった「自律神経失調症」というストレス性の疾患?に小学3年生の頃に罹ったりと精神も若干不安定な子供だったため、無意識な部分で人間の成り立ちの根本部分にも興味を持っていたんだと思う。

今から10年前、躍起になって哲学書を読み漁っていた時に感じていた感覚は、思えば小学生の頃、漠然と飲み込まれそうだった寂しい感覚と似ていたかもしれない。

カッコよく言い過ぎか笑。

とにかく不安だった、毎日どこかがざわついていた。

そして憂鬱だった。

いつだか藍坊主のコラムでも書きましたが、小学校中学年までは、晴れの日よりも雨の日や曇りの日の方が好きだった。

一体何が自分をそうさせたんだろう?

生きてるってどんなこと?死んでるってなに?

このシンプルな問い、結局これにずっと取り憑かれていたんじゃないかと思う。

僕が恵まれていたのは、ちゃんとした両親の元に生まれ落ちたことだ。

もしそうでなかった場合、社会に大きな迷惑をかける人間になっていたかもしれない。

わからないけど。

つまりこのような自分の性向が、後々哲学に魅了されてしまったことと関係があると思うのです。

今では全く哲学書を読まないし、もう真剣に読むこともないと思っている。

つまりこれは僕にとって、逆説的に良いことである。

あの漠然とした憂鬱さと、サヨナラをしたのかもしれない。

これは僕も成長できたということなのだろうか笑。

そうだと良い、36歳の夏。

おじさんは海へ行くだろう。

幽霊と幻覚について

そして重要なのが「幽霊はただの幻聴や幻覚なのか?」という問いだ。

もしそれらが僕の幻覚や妄想なのだとしたら、どっちにしろ一大事である。

そうだった場合、今まで起きたことや見たものをどう処理するのが適切なのか?

そしてあわよくば心霊なる事象に明確な結論を与えられればと思った。

しかし、これについては客観的な実証が不可能(僕は自分が実際に見たことや、聞いたことをただの言葉としてしか人に伝えることができない)なので、人に内容を話すことはできるけれど、あくまで僕自身があれに対してどういった決断を下すのか?が最も重要だということに結局行き着いたのだった。

この流れを明確にしてくれたのが哲学だ。

ざっとしすぎてるけど、哲学ってやつは説明すんのがすごく面倒なので省く。

奇妙な現象に対して、一応批判的な態度(哲学的な意味で)をとった事があったのもここに付け加えておく。

 

とりあえず、こういう人間が普通に病院に行かされていたら多分薬を出され終わりだった事でしょう笑。

笑い事じゃあないんだけどね。

この点は両親に再度、感謝しなくちゃいけませんね。

幼い頃からわけのわからないことを言っていた息子を、精神病院に連れて行かなくて本当にありがとう、、、。

僕の見解では、そっちに行かされていたら多分今ここでこんな風に文章を書いていなかっただろうと思う。

廃人になってたんじゃね?

人間の精神というのは、非常に複雑で、脳みその物質云々を操作したからと言って制御しうるものではないと思う。

じゃあどうやって治したのか?

というか、そういう怪異的な出来事とどう折り合いをつけたのか?

っていう話なんだけど、

それこそスーパーネイチャー的な話になるのでここでは語れまへん。

気をつけて本当に言葉を選んで発言しないといけない内容なので、いつかもっとクローズドな空間でその事を書こうと思います(読みたい人がいたら?)

変に誤解されても困るしな笑!もう十分気持ち悪いかもしれないけど。

僕は特定の宗教に入っているわけではないし、特定の教義を持っているわけでもないし、同時にそういうもの全般を批判つもりも全くありません。

人は人、自分は自分。

ただ、ある意味、僕には僕固有の信仰のようなものがある。

近いものが間違いなくあると言える。

それは他人と共有するものではなく、あくまで自分の疑問を解消し、またその理解をもっていつか人の役に立てるように動くこと(理想です)、そしてその事をまた自分で再考し続ける事。

かっちょええのお。

僕は自分の中にある勘と、インスピレーションを肯定したかったのだ、、、。

その補助剤が哲学だったんだと思う。

ぶひー、繋がったーん!

 

で、幽霊は幻覚なのか?

という問いに対して、僕が下した結論は、

 

どっちだっていい!

 

自分がそうだと思ったのなら、そうでしかない。

人が疑うのなら、それも正解。

あとは、僕がそれをどう処理していくのかだけの問題だし、もし仲間がそういうことで困っている時には、できるだけのことをしてあげたいと思う。

「彼は彼の哲学を持ち 僕は僕の思想に生きる」by 宇宙を燃やせ/藍坊主

昔にそんな歌を、既に歌っていたのだったね。

変わらないものは変わらない。

思想と音楽

そして、音楽に繋がります。

僕は音楽を作っているけど、やっぱり自分がいいと思うものを作り続けたいと思う。

ヒット曲というものを書けずに、もう20年くらい経ってしまったけど笑。

それでもきっと、届く人にはちゃんと届いていると思っています。

かつて音楽プロデューサーやA&Rに「君たちの音楽を聴いてくれるリスナーは、君たちと同じメンタリーを持つ人たちなんだよ」とよく言われていたけど(だからもっと世間をよく知りなさい、という事を言いたかったんだと思う)、きっとこの文章をおっかなびっくりしながら読んでくれているあなたは、多分僕と似ているところが多少なりともあるんだろうと思う。

やあ!

僕の歌には、僕の思想が乗っている。

これは藍坊主開始の頃から全く変わらず、一番大事にしてきた事だ。

NORMももちろんそう。

そして今度のバンドツアー、フォレストーンのリバイバルツアー、フォレストーンリリース時は最も思想系の本と向き合っていた時期だった。

すっかり思い出した。

藍坊主のコラムには今回ほどスピってる話は書けない笑。

やばいもん。

自覚はあるので許してちょ。

そんな梅雨明けなはずの蒸し蒸しした7月の午後、色々と思い出してキーボードを打つのでした。

 

ところでね、こないだ怖い話を文章に起こしたせいかまた奇妙なことが起こってしまった、、、。

結果として友達の調子が良くなったので良しとするけど、文章にすると結構気持ち悪いのでいつか怖い話大会でも開いて語らせてもらうこととしよう。

と、同時にやはりインスピレーションが冴えてきたせいかまた曲が出来始めているのも事実。

 

そして、こんな話を書いているけれど、46時中異常な空間を生きているわけではないし、変なものが見えるわけではないことも付け加えておく笑。

365日中、360日くらいは普通です。

基本はとても普通に、穏やかに生きています。

海に行って泳ぎたいほどに、普通です。

だから引かないでほしい笑。

 

とりあえず、信じるか信じないかは、、、、僕次第です!

 

NORM/hozzy

関連記事一覧